
黄金月間の終わり
29日、車を借りて中央市へ。買上品引取と入札と清算。先週仕入れで例になくたくさん買ったので一度の支払い額の最高記録だった。市場に通い出してから、以前は好きだったショッピング(浪費)をあまりしていない(ような気がする)。毎週毎週市場でウン万円支払っているともう、それだけでショッピング欲は満たされてしまうようだ。 30日、週末6月3日(土)に迫った南部支部大市(年に一度開催される特別に商品の質の高い市)準備の手伝い。朝から陳列作業をする。戦前の貸本マンガや児童書、貴重な写真集などもう二度と触れられないかもしれないものなどを並べる。 31日、午前中、東京おかっぱちゃんハウスへ行き、古本棚の補充と今月分売上の清算。陳列スペースの規模と不定期営業であることを考えると十分に高いところで安定した売上ができている。お客様とおかっぱちゃんハウスのおふたりの熱心さに感謝。のち、資料会へ行き、来週から経営員として参加する挨拶をする。夜、くりから堂さんと赤いドリルさんと古書明日の店員Tさんと西武ドームへ。西武―広島戦を観る。ライオンズは負けてしまったが試合終盤に目撃した

黄金週間・その後
22日~28日。5月に入ってから一途に広げてきた風呂敷を畳むための一週間。 22日、中央市へ行く。「井のいち」から戻ってきた商品の仕分け作業なども。 23日、「調布の古本市」最終日。搬出作業をし、帰宅したのは深夜。これで「5月死のロード」の終わりも見えた。 24日、帳簿の記述を見るに資料会に行ったよう。もう全然覚えていない。「調布の古本市」から戻ってきた商品の仕分け作業をしたような気がする。 25日、井草ワニ園の補充・入替作業。大量に追加し、これまで並べてきたものと合わせる。大改造であり、ほとんどゼロからの陳列に近い作業量で、4時間で終えるつもりがオーバーする。 26日、SLOPE「さかみち書店」の補充。石黒敬七『ビール物語(昭和36年)』、『辻まこと全集1』、Chim↑Pom『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』などを補充する。『辻まこと全集1』は特別に安い値付けではなかったが、このあとひと月とかからずに売れた。古本屋でないコーヒースタンドで、たまにでもこういう本が売れるのはうれしく、ありがたい。 この日には「調布の古本市」からの戻り分

黄金週間・リターン
ゴールデンウィークは終わった、と言われて久しい。だが僕にはそんなものがあったような気がしない。だから終わったような気もしない。 15日~21日。今週末21日は石神井公園の氷川神社で行われる「井のいち」に出展する。ポラン書房時代から関わっていた、地域の個人商店やアーティストなどが集まった一大イベントである。開催場所も集まる人も雰囲気も、なにもかもがすばらしいイベントに独立一年目からお声掛けいただいて最高の気分。だけど商品は間に合うのだろうか。心躍り勇気凛凛、湧き上がる不安という複雑な心境で幕開けた一週間である。 15日、「東京蚤の市」の残務、「調布の古本市」の補充、南部会館(五反田)で入札市買上品の引き上げ、フリ市の出品をする。東京を縦横無尽に走り回った。夜、3年前に古書店員として取材されたテレビ局のディレクターとカメラマンのおふたりに独立祝賀会を催していただく。四谷三丁目のチェコ料理屋「だあしゑんか」で。チェコ関連本が並ぶ店内は雑誌などではたびたび見たことがあった。念願の初訪問。おいしゅうございました。 16日、井草ワニ園さん補充。小島信夫、マル

黄金週間・続き
8日~14日。世間ではゴールデンウィークは終わったとされる。それでも僕の黄金週間は続く。今週は13日・14日に開催される「東京蚤の市」がハイライト。ロスパペロテスさんのブースのお手伝いであるが、準備にかかりきり。かつ10日からは2週間の長丁場の「調布の古本市」が始まるのである。 8日は中央市に行き、夜、調布パルコで「調布の古本市」の会場設営作業。同会場を使用した直前の催事の撤収が予定よりも押して作業に取り掛かれず、深夜までかかっても設営を終えられなかった。翌早朝にあらためて集まることになり解散。 9日。寝坊する。起きたら集合時間を30分過ぎていた。自宅から調布までは1時間の距離である。絶望する。遅刻して到着後、にわとり文庫さんに平謝り、すると「今朝は誰も時間通りに来なかったよ」と呆れたご様子であった。陳列作業し、帰り道ひばりヶ丘で目覚まし時計(セイコーの電波時計、目覚まし機能2個付き)を買う。 10日、資料会へ行って入札。そのまま調布へ行きレジ当番に立つ。初日のわりに売れ行きは伸びず。調布パルコの催事は古本マニアというよりもパルコのお客様がターゲ

黄金週間
長いことブログを更新しなかったので、会う人会う人に「ブログを更新しないのですか」「ブログ、やめちゃったの」「あのう、ブログは…」などと言われ、たいへんに心苦しい思いをしたかというとそうでもなく、ほとんど言われない。それでもたまにはそんな言葉をかけてくださる方もあった。その言葉にどれほど追いつめられたか。 とはいえ、「ブログを書いていないなあ」という自責は常にあった。5月の初旬などは、数少ない善き友人たちの上記のような苦言以上に、自責の蓄積にずいぶん苦しめられたものだ。毎晩(ほとんど朝のような日もたびたびであった)寝床で「きょうも、書いていないぞ」という幻聴を聞いた。ようやく呪縛を解かれたのは三週間(すくなくともその時点で見通しが利く範囲で)にわたる隙間のないスケジュールをこなしていた5月10日頃、「今月はブログ書かない。来月まとめて書く」と決意した瞬間であった。 そういうわけで5月はブログを書きませんでした。言いわけではなく言い分です。 5月はイベント続きで実に目まぐるしく、日々の出来事などはほとんど記憶にとどまっていない。だからこれから何章かに