新しい鉱脈
洋書会へ行く。一角文庫としては初めての参会。年明けから火曜日になるたび行こうと思いながら、各販売先の補充が長びく(というかその前にぐずぐずしていて家を出るのが遅れる)などでなかなかタイミングが合わなかった。日本で唯一の洋書専門市会。
出品を洋書に絞っている(数点日本語の本の口が出ることもある)ため、ほかの市会に比べると出品数は限られている。それでもほかの市会の際には日本語の本をかき分けて数点あるかないかの洋書の山を探し求めている僕にとっては宝ばかりごろごろ並んでいるのだ。一冊の古い洋書を取り扱うことは、日本語の本ばかりを扱ってきた僕には毎回ひとつ新しい経験を積むことで、近頃はそれが楽しくなってきている。そうしていま眼の前には古い洋書ばかり並んでいる。
新しい鉱脈を見つけた気分だった。掘ったことのない岩肌に鉱脈の端が少しだけ露出していて、その奥に埋まっている本体の大きさも形もわからないものだからひょっとして自分にも掘り出すだけの力が備わっているのではないかと思わずにはいられない。我を忘れて会場をまわった。
3点落札。ぼうずもやむなしと考えていた(ぐずぐずと毎週来会を先延ばしにしていたのは専門業者が集まる市会に自分の出る幕などないのではないかと先回りしていたこともあった)ので、運良く落札できるものがあってよかった。今週たまたま買えただけでも、初めての入札で買えたことは弾みになる。通おう。
独立して以来、ひょっとしたら自分は洋書が好きなのかもしれない、と思うことがたびたびある。洋書を扱う業者は限られているから「洋書もやる」というのがある種僕の個性になってきていて、実際毎月の売上の一定部分を洋書の売上に頼っているし、商売の面で特別な存在になりつつあるのは確かだが、しかし商売を離れても洋書が好きなのだろうか。これから洋書にのめり込むのだろうか。よくわからない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。そうであるなら幸せな気もするのだけれど(かえって不幸な気もする)。
ふと、新しい鉱脈は自分のなかにみつけたのかもしれない、と思う。でも、そうでないかもしれない。
洋書会の最中、大先輩に「ロシア語読めるの?」と訊かれる。「読めません」「俺も読めない。読めたら独り勝ちなんだけどね」という会話がなんとなく印象に残った。