役立たず

8日、資料会へ。洋書一点買い、中央市の買上分と合わせ家へ持ち帰る。下ろして仕分け→洋書納品用にしばり直し→各所補充用商品に値札付ける。

9日、早く起きて荷物積み込んだ車で吉祥寺。所用済ませて調布。近頃ごぶさたの調布パルコで補充したらとんぼがえり。事務所で納品用洋書と吉祥寺パルコ補充用、井草ワニ園補充用の荷物積んで再出発。三鷹で洋書の納品済ませてまた吉祥寺、「吉祥寺パルコの古本市」補充。近刊コミック大量追加し、のち、上井草へまわる。井草ワニ園さん。店長さんがみつけてくださったアンティークの本棚3本届いていた。大きさも風合いも僕が思い描いたそのまま。一気に本屋らしくなった空間にがぜんやる気出し陳列するも本が全然足らず、苦肉の策の面陳だらけ。カタチは整ったのだから、中身も追いつきたい。

21時前、家へ帰る。2日間やりきった。どうしてこんな過密スケジュールになったかと言うとお察しの通り、車を借りたのである。ああ、心から車を買いたい。車さえ手に入れば、こんなふうに破綻ぎりぎりの無理を自分に強いて無駄な使命感に酔い、疲れ切った挙句全然必要のない達成感と充実感に高ぶって独り祝杯をあげることもなくなるのだ。

調布パルコ5階のリブロ店内古本棚には昭和の旅・食関連本を並べました。装丁デザインの趣向や印刷がいまのものとは違っていて、見慣れないせいか現在を生きる僕には特別かわゆく感じられます。これから旅行に出かけるというときに、限られた時間のなかで見るべきものを見逃さないよう、限られた回数しかない食事をおいしくないもので済ませてしまわないよう、片手に携えていくためのガイドブックとしては用を為さないでしょう。なぜならこれらの本には、すでに存在しないレストランのメニューがいかにおいしいか、廃線となった路線や走るのをやめてしまった車輛の車内でどうやって過ごすべきか、それにもう生きていないかもしれない現地の人々がどんな暮らしを営んでいるかが書かれているのですから(もちろん、それらのなかにはいまもなお続いているものもあるには違いありません)。

こんな役に立たないものをなぜ売っているのだろう、すこしばかりかわゆいところで本棚の肥やしにするために求める人などいるのだろうか、と疑問に思われる向きもあるでしょう。そのような疑問はこういった本のうちの一冊、ひょっとしたら一文を読んでいただくだけでもたちどころに氷解するかもしれません(しないかもしれません)。読む人によってはこれらの役立たずがたいへんにおもしろいものなのです。かく言う僕もおもしろく感じる人間のひとりです。でもそれってなぜなんだろう、と考えるとうすぼんやりとした解答があるようですが、はっきりとした言葉にはなりません。ただ、なんとなく、そこに描かれている対象がもうすでになく、しかもかつてたしかに存在したものだ、ということに関係があるように思われます。

旅に出るときの高揚を知る人は多いでしょう。旅は日ごろ過ごしているのとは別の場所へ行くこと。「ここではないどこか」へ向かう、そのときの未知へのあこがれ、非日常の愉しみ。なんともわくわくさせられる体験です。さて、そこに「いまではないいつか」へ向かう要素が加えられたらどうなるでしょう。日ごろ過ごしているのとは別の時間、時代へ旅立つのだとしたら。しかもそこはかつて実在した場所です。でまかせではない、「たしからしさ」をまとっています。

考えてみると、これらの役に立たない本を読むことは普通三次元的であるはずの旅行を四次元的に味わうことなのかもしれません。そうしてこのことは、文字通り次元の違う楽しみを与えてくれる「旅行」に出かけることだ、と言ってもよいように思えます。

装丁もかわゆく役に立たないガイドブックとしてパーフェクトな『パリ食べあるき50店』。帯には序文を寄せた三木鶏郎の手になる惹句があります。これこそがなんとしても褒めよう褒めようと努め、結果として完全な嘘になってしまったケースの代表例だと思います。


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